日本特許庁のDXの歴史を知る旅(1) 日本で最初の特許情報オンライン検索システム誕生
1970年、何があったか知っていますか。
「知財デジタルイノベーションハブ」は知財DXの情報を取り扱うメディアですが、今の知財DXを語るには日本特許庁のDXの歴史を知らなければいけないと思いました。
ということで、日本特許庁のデジタル化の歩みについて何本かの記事で語っていこうと思います。デジタル化にもいろんな要素がありますが、まずは、特許の情報検索の話に絞って書いていきます。
1970年、特許の出願公開制度が成立
はじめに、今の知財DXの土台となっている「特許庁に出願された情報が共有されている」点についてそのベースを理解する必要があります。
法律上の根拠は特許法64条です。
第六十四条 特許庁長官は、特許出願の日から一年六月を経過したときは、特許掲載公報の発行をしたものを除き、その特許出願について出願公開をしなければならない。次条第一項に規定する出願公開の請求があつたときも、同様とする。
特許法 | e-Gov 法令検索 より引用
昭和45(1970)年の法改正によって出願公開制度が誕生しました。
昭和四五年の一部改正において採用された出願公開制度は、出願後一定の期間を経過した時には、審査の段階のいかんにかかわらず特許出願の内容を公衆に知らせるというものである。この制度の目的は、審査の遅延によって、出願された発明の内容が長期間公表されないこととなると、企業活動を不安定にし、重複研究や重複投資を招くおそれもあるため、こうした弊害を除去することである。
工業所有権法(産業財産権法)逐条解説〔第22版〕 | 経済産業省 特許庁 より引用
では、これを踏まえて、日本特許庁のDX化の歴史を見ていきましょう。
1960年代の特許庁における検索システム
特許庁で審判長を務めた経験を持つ小原らによると、特許情報の機械検索の歴史は1960年代の初頭から始まったと言います。
特許情報の機械検索の歴史は、1960年代の初頭までさかのぼることができる。当時、各国における特許出願件数は、技術の発達と産業界の好況とに支えられ、年々増加の一途をたどっていた。これに伴い、蓄積されてゆく特許情報の数もまた膨大なものとなりつつあった。1961年までの世界の特許明細書の累積数は、約750万件にも達していた。こうした情況の中で、審査主義を採用している国々では審査に要する期間の長期化が、特許制度の将来にわたる重大な問題として顕在化してきた。
小原博生,豊原邦雄,石川好文,小曳満昭,丹治彰「講座 特許管理と特許情報 第11回 機械検索」『情報管理』Vol.28,No.11,1986 より引用
ちなみに、2024年の世界全体での特許出願件数は約370万件となっています。また、この時期に計算機の技術も発達し、1964年には「IBM社からシステム/360が発表され、コンピュータの第3世代が始まった」とされており、技術的にもコンピュータによる機械検索が現実的になってきた時期とも言えます。
昭和36(1961)年12月には、日本特許庁に審査機械化研究室が設置されました。
昭和36年12月、総務部に審査機械化研究室が設置された。同研究室は、昭和37年にステロイド化合物および、合金の分野において機械検索の実験を行ったのを皮切りに、昭和47年までに計24テーマについて機械検索システムの研究開発を行った。
小原,豊原邦雄,石川好文,小曳満昭,丹治彰「講座 特許管理と特許情報 第11回 機械検索」『情報管理』Vol.28,No.11,1986 より引用
機械化研究室に所属していた貞重は、様々な制約によりまずは技術分野ごとにシステムの開発を行ったが、将来的に分野横断型のシステムに改善したい旨を述べています。
特許庁の場合には対象とする技術分野を特定の範囲の技術に限定し、(この限定は特許分類表の区分にしたがっておよそ限定されている。)1つの検索システムとしてまとめ、特定の技術分野毎に検索システムを開発してきている。その理由の第1は特許審査の際に参照すべき公知文献が、日本特許、実用新案公報だけで120万件、米、英、独などの主要外国特許公報を加えると600〜700万件にものぼり、しかもその技術内容があらゆる技術範開にわたるので、全体を1つの検索システムで扱うことは、詳しい検索が困難になるからである。
例えば機械装置の構成に関する文献については、その技術内容を適切に表わしている技術用語を見出しとして選定すれば一応充分と考えられるが、金属材料の組成に関する文献では、材料を構成している元素や化合物名とその含有率まで検索できなければならない。化学物質の検索では化合物名や反応条件ばかりでなく、その物質の構造式を適当な方法でコード化し、これを検索することが必要になってくる。
貞重和生「特許庁における情報検索の現状」『ドクメンテーション研究』,18巻3号(1968) より引用
特許庁では特定の技術分野ごとに検索システムを開発してきたが、情報検索技術はまだ揺藍期で、完成された技術でなく、現在の段階で一つの方式に決めることはできない。また部門ごとに検索要求も異なるので現在使用可能のもの、開発中のものの検索システムには異なった方式をとっている。今後の使用上の経験や情報検索技術の発達につれて統一の方向に向うものと考える。さらに、現在のかなり狭い範囲しか扱えない検索システムから比較的広い範囲の技術を扱えるシステムへと発展させたいと考えている。
貞重和生「特許情報の機械検索」『情報管理』Vol.11,No.7,1968 より引用
1971年 日本特許情報センター(Japatic)設立
1960年代には、工業所有権制度調査団、工業所有権審議会小委員会により、オランダを始めとする海外制度の調査、検討が行われました。オランダでは1964年に世界で初めて審査請求制度、それに合わせて出願公開制度が導入されていました。
オランダでは、1963年に特許の滞貨を減らすことを目的として画期的な特許法の改正を行い、1964年1月1日から施行した。新しい特許法では、世界で初めて出願から7年以内に出願人、又は第三者による審査請求があった出願のみ審査する、繰延審査制度を採り入れた。この審査請求には、新規性調査請求と特許付与請求の2種類がある。
しかし、出願後何年も審査請求が行われないことによる出願の内容が公開されないのを防ぐために、公開制度も同時に取り入れている。公開は、出願から18か月経過後に、出願人の氏名、発明の名称等を公報に掲載(リスト公開)をし、出願明細書は、特許庁にて閲覧できる。公開された出願について、第三者は情報提供をすることができる。出願から7年以内に審査請求がなければその出願は放棄されたものとみなされる。
「出願公開制度に関する調査研究」知的財産研究所 2014年度調査事業 より引用
そして1970年には日本で特許の出願公開制度が成立、これに合わせて財団法人日本特許情報センター(Japatic)が設立されました。
1970(昭和45)年の国会において、公開制度を含む特許法の一部改正が可決成立し、併せて膨大な特許情報をコンピュータの利用により迅速に処理・提供するための機関を設立する必要性が全会一致で決議されました。
この国会決議を受け、政府および経済団体連合会を中核とする民間の財政的協力の下、財団法人日本特許情報センター(Japatic)が設立されました。
Japioの概要|日本特許情報機構(Japio) より引用
1971年4月27日の日本特許情報センター設立発起人総会。議長は松下幸之助氏(特許情報広域検索システムとPATOLIS(<連載>オンライン情報検索:先人の足跡をたどる(4)) より引用)
同社は、第1検索システムと呼ばれる特許・実用新案の書誌的事項検索システムと第2検索システムと呼ばれる技術内容検索システムを提供(1974)。1978年には、日本初の特許情報オンライン検索システム「PATOLIS」を開発し、サービス展開しました。
特許庁から特許情報の提供を受け、日本で最初の特許情報オンライン検索システムを開発し、サービス展開いたしました。
Japioの概要|日本特許情報機構(Japio) より引用
ここから、特許情報の民主化が始まったと言えるでしょう。
まとめ
以上、日本で最初の特許情報オンライン検索システムが誕生するまでの歴史を振り返りました。次回は、日本特許庁の野心的な計画「ペーパーレス計画」と「電子出願の開始」から語っていきたいと思います。
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